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三輪芳弘(興和株式会社)の経歴とは?名古屋トップクラス企業社長のスゴい実績

三輪芳弘(興和株式会社)の経歴とは?名古屋トップクラス企業社長のスゴい実績
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三輪芳弘さんは、名古屋にあるトップクラスで有名な会社のひとつ、興和株式会社の代表取締役社長です。

興和株式会社は虫刺されと言えば、「ウナコーワ」肩こりと言ったら「バンテリン」と、名古屋市民には欠かせないOTC医薬品を手掛ける会社です。

名古屋市を本社に構え全国、そして海外へ展開されていますが、そんな敏腕社長の三輪芳弘さんについて名古屋市民を代表して調査しました。

生い立ちから経歴、プロフィール、人物像、実績、評判から、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、マスク不足へ貢献された三輪芳弘さんの思いなど、まとめました。

目次

三輪芳弘の概要・経歴

興和株式会社より引用興和株式会社より引用

三輪芳弘さんは、興和株式会社の5代目社長です。

興和を立ち上げた三輪一族に生まれ、慶応義塾大学大学院商学研究科を卒業後に興和株式会社へ入社。

父、祖父ともに興和株式会社の元社長ということもあり、地元の名古屋では「三輪一族」と言えば知らない人はいないほど有名家系といえます。

そんな有名家の三輪芳弘さんは、他社や他業界で修行や経験をすることなく興和株式会社一筋で手腕を発揮し、40歳で代表取締役社長に就任しています。

社長就任後、海外進出や新規事業への参入を展開

社長就任後に行ったのは、会社の海外進出。

新規事業への参入にも積極的で、新薬の開発で会社は大きく成長し、現在では約100社にも及ぶ興和グループの総売上が4,000億円を超えており、名古屋発日本を代表する複合企業になっています。

社長職以外にも、様々な役職を兼任

三輪芳弘さんは社長職以外にも、様々な役職を兼任されています。

日本セルフケア推進協議会の代表理事や、在名古屋タイ王国名誉総領事在名古屋タイ王国名誉総領事。

以前にはナゴヤファッション協会副会長を務めていたこともあり、活躍の幅が広いことがわかります。

新型コロナウイルスに対しては赤字覚悟で社会貢献を請け負い国のマスク不足解消へ貢献するなど、信用が厚い人物としても知られます。

三輪芳弘・興和株式会社の評判口コミ

とくに興和株式会社の本社がある名古屋市で有名な三輪芳弘さんですが、ネット上では新型コロナウイルス感染症への対応や名古屋の再開発の取り組みにより「正義感のある良心的な方」「志が素晴らしい」といった評判が見受けられています。

興和株式会社については、古き良き組織体制ながらもSDGsに則った取り組みを行っている素晴らしい会社であると口コミでも評判です。

これまでにも新薬の開発などにより高い評判を獲得してきた三輪芳弘さんや興和株式会社ですが、昨今の新型コロナウイルスによるマスク不足への取り組みやイベルメクチンの臨床試験開始を受け、更に注目を集めています。

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興和株式会社とは

興和株式会社より引用興和株式会社より引用

沿革

興和株式会社は明治27年、前身は綿布問屋「服部兼三郎商店」として名古屋市で創業されました。

繊維と言えば、あの有名なトヨタも名古屋の繊維業が始まりとされており、トヨタはいまや自動車業界のトップメーカーとなり、興和は医薬品メーカーとして地位を築いています。

どちらも、老舗企業としての歴史を感じます。

創業から現在までに経過した月日は120年以上、今では名古屋市でも有数の老舗企業となりました。

興和株式会社へ商号を変更したのは、紡績をメインにする興亜紡績株式会社を設立し後に平和を興すという意味も込め、興和株式会社という名称になったと言われています。

事業内容

三輪芳弘さんが社長に就任した当時には売上の約50%あった繊維部門ですが、現在は繊維約10%~20%、産業・化学が約30%~40%、医薬品が約50%と大幅なシフトチェンジを行いました。

興和株式会社は会社概要を見ても、「医薬事業」「産業関連事業」「生活関連事業」「ホスピタリティ事業」という4つを主要事業として取り組んでいることがわかります。

現在の興和株式会社は、主力の売上を占める医薬品をはじめ、医療用機器や省エネ関連製品など取り扱いつつ、繊維や機械などの輸出入や三国間貿易を行う商社の機能も果たしています。

主力商品

  • ウナコーワ
  • バンテリンコーワ
  • キャベジンコーワ
  • キューピーコーワゴールド
  • 三次元マスク
  • ザ・ガードコーワ

これらは興和株式会社の一部商品ですが、聞いたことあるもしくは購入した記憶がある人も多いのではないでしょうか。

薬局やドラッグストアなどで購入できるOTC医薬品では、虫さされや鎮痛薬、胃腸薬、滋養強壮など生活の助けになる商品が多いです。

高コレステロール血症治療剤のリバロ錠は、医療用医薬品として日本ではじめての全合成のHMG-CoA還元酵素阻害剤として開発され、現在では興和株式会社の主力製品となり、海外へと販路も広がっています。

会社概要

会社名:興和株式会社

創業:1894年(明治27年)12月25日

所在地:愛知県名古屋市中区錦三丁目6番29号

資本金:38億4千万円

代表者:三輪芳弘

売上高:4,116億6,500万円(2021年3月期:連結)

事業内容:商社部門/メーカー部門

三輪芳弘のプロフィール・実績・人物像

経歴

名前:三輪芳弘(みわよしひろ)

生年月日:1955年10月30日

出身:愛知県名古屋市

学歴:慶応義塾大学大学院商学研究科

1980年:興和株式会社に入社

1995年:興和株式会社の社長に就任

2016年:在名古屋タイ王国名誉総領事に就任就任

2019年:日本セルフケア推進協議会の会長に就任

実績

興和株式会社より引用興和株式会社より引用

三輪芳弘さんの興和株式会社の社長就任後、最も大きな実績のひとつとして海外への進出が挙げられます。

日本以外に米国、欧州、アジアに海外拠点を置き、これまで医薬品の研究・開発・販売を続けてきました。

自社創製した新薬の開発、販売にも力を入れ、2017年には高脂血症治療薬「パルモディア」の承認を受けました。

日本だけでなく欧米でも抱えている高中性脂肪血症患者のために、15年の開発期間と1,000億円規模の開発費用をかけ承認されたことで、今後の発展にも期待が持たれます。

人物像

三輪芳弘さんの人物像としては、これまでの紹介でもお分かりかと思いますが強烈なリーダーシップを発揮されている方という印象が強いでしょう。

25歳で興和に入社後、33歳で役員となり、38歳で副社長、40歳という若さで社長まで上り詰めるのは、並大抵の剛腕っぷりではいかないと思います。

興和株式会社は一族経営の実質オーナー企業ですが、三輪芳弘さんの社長就任後は海外進出や大幅な事業転換など時代を見据えた経営手腕がいかんなく発揮されていることを証明しています。

また、名古屋観光ホテルの子会社化や名古屋の百貨店だった丸栄を子会社化するなど、生まれ育った地元への貢献も忘れていません。

丸栄跡地に新しい商業施設を建て、日本だけでなく海外にも名古屋の良さを発信してくれているように感じます。

中日ドラゴンズの本拠地であるナゴヤドームもネーミングライツ、「バンテリンドーム ナゴヤ」と変更している点も、地元への愛着がうかがえます。

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三輪芳弘の一族(家族・息子・娘)について

三輪芳弘さんの一族は大企業の興和株式会社を発展させてきた「三輪一族」として地元で有名です。

祖父の三輪常次郎さんは前身の会社である服部商店を再建して興和株式会社を設立した人物であり、父親の三輪隆康さんも興和株式会社の社長を務めました。

また、三輪芳弘さんの叔父にあたる三輪緑四郎さんや三輪文男さんも興和グループにて役員や社長を務めていました。

そして、三輪芳弘さんの母親は、かつて愛知県にあった菊乃世広瀬酒造の社長令嬢の広瀬純子さんで、弟の三輪晃裕さんも興和株式会社にて役員に就任しています。

結婚情報と息子・娘について

三輪芳弘さんも結婚されていて、息子と娘が1人ずつ誕生しています。

妻や娘に関する情報は得られませんでしたが、息子の三輪尚巨さんは興和グループの興和オプトロニクス株式会社にて代表を務め、興和株式会社にて取締役執行役員を務められています。

興和株式会社は社長を代々三輪家が務めるオーナー企業のため、次期社長には息子の三輪尚巨さんが就任するのではないかと噂されています。

田園調布の自宅や年収・総資産

愛知県名古屋市出身の三輪芳弘さんですが、東京都の田園調布に一際目立つ大きな自宅を構えています。

田園調布は気品溢れる閑静な高級住宅街として有名で、多くの経営者や芸能人が住んでいます。

田園調布に新築一戸建てを建てるには数億円以上かかりますが、三輪芳弘さんには少なくとも数億円~数十億円以上の総資産があるのではないかと言われています。

詳しい年収や総資産額については公開されていないものの、興和株式会社の2020年の役員報酬を試算すると1人あたりの報酬金額が約2,400万円になることから、三輪芳弘さんは2,400万円以上の年収を稼いでいると考えられ、興和株式会社以外の組織の役員も兼任されていることから、更に高い年収を稼いでいそうです。

また、三輪芳弘さんは興和株式会社の株式を56万株所有しており、興和株式会社が成長することで今後も三輪芳弘さんの総資産額は増えていくでしょう。

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新型コロナウイルスへの取り組み

2020年、新型コロナウイルスが猛威を振るい、日本国内でもマスクが不足するという大きな問題がありました。

三輪芳弘社長は、興和で経験してきたマスク販売のノウハウを駆使し、国内・海外の工場で月に5,000万枚のマスクの増産に踏み切りました。

通称アベノマスクには賛否があるものの、マスク不足の不安な国民に対し迅速に対応した政府と、それに採算を考えず応えた企業には好感が持てます。

また、巨大企業ほど意思決定までに時間が掛かりますが、オーナー企業である興和株式会社だからできた迅速な対応ではないかと、個人的には共感しています。

まとめ

興和株式会社の社長である、三輪芳弘さんについて紹介してきました。

明治から続く父親や祖父の代から続く老舗企業を、時代の流れに沿った形で事業展開し、日本のみならず海外進出を果たしている興和株式会社には、なくてはならない存在ということが分かりました。

まだ新型コロナウイルスの感染が落ち着かない中、マスクをはじめとした感染対策や医療に対する注目は続くと思われます。

今後も疾患などの悩みに応える治療薬や、名古屋の再開発などに積極的な興和株式会社と三輪芳弘社長に期待しています。

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